殺処分の歴史 その1

日本においては、元々収容動物を譲渡するという発想はなかったらしく、動愛法(その前身の動物管理法も含め)よりも早く制定された狂犬病予防法(昭和25年法律第247号)の規定では、鑑札や注射済票が付いていない犬は都道府県(又は政令市、特別区)職員で獣医師である、狂犬病予防員が抑留しなければならず、一定期間(公示期間といいます)の間に飼い主が名乗り出なければ、政令の定めにより処分できるとされています。そして、「都道府県は、その処分によって損害を受けた所有者に通常生ずべき損害を補償する」と、何だか恐ろしいことが書かれています。飼い犬を誤って他の人に譲渡してしまうこともありますから…って、おそらくそうではありません。政令、すなわち狂犬病予防法施行令(昭和28年政令第236号)を読むと、「処分」は「殺処分」とほぼ同義です。※平成19年5月1日付けの厚労省課長通知によって、狂犬病予防法の「処分」は「殺処分」に限らないことが示されていますが、狂犬病予防法制定時の時代背景から、当時においては殺処分を前提にしていたことは明らかです。

 

第五条 予防員は、法第六条第九項(法第十八条第二項において準用する場合を含む。)の規定によつて犬を処分し、又は法第十四条第一項の規定によつて犬若しくは第一条に規定する動物を殺す場合には、あらかじめ、適当な評価人三人以上にその犬若しくは同条に規定する動物を評価させておかなければならない。

 

つまり、飼い主が名乗り出なかった抑留犬の処分、そして狂犬病の恐れがあるとして確定診断のために殺す(狂犬病の確定診断のためには脳の組織検査が必要だからです)際には、3人以上で評価するよう定められているのです。

ほとんどの場合、狂犬病予防員は保健所に配属されているため、犬の抑留施設は保健所の片隅にひっそりと設置されています。抑留施設はたくさんの犬を収容できるように設計されていません。公示期間(場合によっては公示期間を待たずに)の間一時保管し、処分施設に送ることが前提だったからです。処分施設は来た犬を処分することが前提の施設ですから、たくさんの犬を収容するように設計されていませんでした。そして処分施設には大量処分が可能なガス室が備えられ、流れ作業で処分が行われていました。

法令及び当時の状況から推察すると、飼い主に返還されなかった犬は殺処分されることが前提であったといえます。もちろん保健所や処分施設の職員が個人的に譲り受けることはあったでしょうが、抑留犬の存在を公にして新しい飼い主を広く募るといったことは積極的に行われませんでした。

野良犬や迷子犬は保健所職員に捕獲され、保健所に抑留され、数日後には処分施設に送られガス室で殺処分されるという、誰でも知っている流れがここで確立したのです。