殺処分の分類とその問題点

殺処分数を含む各自治体の動物愛護管理行政の年間実績は「動物愛護管理行政事務提要」にて公表されています。環境省のホームページにも掲載されています。その令和元年度版(平成30年度実績)から、殺処分数の集計方法が変更されています。殺処分数が①~③に分類され、このような注釈がつけられています。

 

※殺処分数の分類は以下の通り。

分類①:譲渡することが適切ではない(治癒の見込みがない病気や攻撃性がある等)と判断された動物の殺処分

分類②:愛玩動物又は伴侶動物として家庭で飼養できる動物の殺処分

分類③:引取り後の死亡

 

言い換えると、①は「譲渡に適さないため殺処分した数」、②は「譲渡可能であるが、行政都合で殺処分した数(=真の殺処分数)」、③は「収容時又は収容中に死亡した数」ということです。そして環境省は②のゼロを目指し、収容数の減少により①や③も減少させることを目標にしています。つまり「譲渡できる動物はすべて譲渡しましょう。譲渡できない動物については仕方がない」ということです。

ここでひとつの疑問が生じます。譲渡する側が「譲渡に適さない」と判断することは妥当なのでしょうか。譲り受けたいかどうかは、譲り受けを希望する人の判断なのではないでしょうか。環境省所管の「ゴミ」の話で例えてみます。超一流企業に勤めていて、単身赴任している私の知人は「洗うのが面倒だから」といって一度着たシャツを捨ててしまいます。彼にとって一度着たシャツは「ゴミ」です。しかしそのシャツは洗濯すれば問題なく着られますし、ひどく汚れていたとしてもリユース目的で欲しいという人はいるはずです。行政担当者は「こんなの譲渡できないよね」と、自分たちの物差しで譲渡の適不適を判断しがちですが、本当に譲渡に適さない動物などほとんどいないはずです。このことについては後ほどお話しします。

譲渡に適するか否かという人間の都合(しかも恣意的)ではなく、動物にとって致死処分が必要かどうかという視点で殺処分を分類すべきではないかと私は考えます。回復不能の動物の苦痛を終わらせるための安楽殺は正当な獣医療行為であり、躊躇すべきではありません。正当な獣医療行為を「殺処分」の範疇に入れられ、非難の対象にされてしまっては、動物のことを思って安楽殺を行っている獣医師たちがあまりにも不憫です。