私の夢

私は「業務命令」の名のもとに、多くの犬猫を安楽殺してきました。その多くは、本当に殺処分が必要であったかどうか、不明瞭な子たちです。本音は「世話が大変だから」という理由なのですが、そこにいろいろな理由をつけて犬猫に「譲渡不適」の烙印を押して、あたかも獣医学的理由による安楽殺であるであるかのように処理していました。

私はその体制に納得がいきませんでしたが、上司だって納得しているわけではない(=麻痺している、もしくは麻痺していることにして精神との折り合いをつけている)ことは重々承知していました。本当に問題なのはそのさらに上、自治体幹部レベルの問題なのです。ウチの首長は経済問題には熱心ですが、動物福祉のようにゼニにならないことには冷淡なのです(でなければ、動物愛護管理センターへのあれほどの冷遇は考えられません)。そのため、上司に異議を唱えることはありませんでした。せいぜい私にできたことは、極力殺処分に至らないように、それとなく上司の思考を誘導することくらいでした。

よその自治体も人員配置は苦しい(獣医師の採用自体が苦しいですから)でしょうが、ウチの自治体は絶望的なくらい動物愛護管理センターの人員が少なく、人員配置自体が殺処分前提ではないかと疑うくらいでした(実際にそうでしたが)。早く見切って殺処分しなければ、収容数が収容能力をオーバーし、適切なケアが提供できない…我々も公務員ですから、ただでさえ薄給なのに、予算不足で残業手当も出ないと言われると、譲渡不適と言い切れない子たちに手をかけざるを得ないという現状もわかっていただきたいと思います。できるだけ全員を生かしてあげたいと孤軍奮闘し、その結果過労で倒れてしまったこともあります。だからといって、そのことをもって評価されることはありませんし、単に余計なことをしてぶっ倒れたバカです。本当であれば自治体名を公表して、全国の皆さんからプレッシャーをかけていただきたいところですが、私も定年までが長いので、それまでは穏便にいきたいと思っております。

その罪滅ぼしではないですが、私は定年後に、動物愛護管理センターで殺処分を宣告された犬猫たちを受け入れる施設を作りたいと思っています。可能な限り治療を行い、希望者がいれば譲渡し、譲渡のチャンスに恵まれなかった子たちは死ぬまで面倒を見るという、動物診療所併設のシェルターを考えています。

その日が来るまで、しっかりと資金をため、またしっかりと勉強しておきたいと思います。いや、それまでに首長が交代し(または改心し)、動物愛護管理センターの体制が充実され、私が考えているようなシェルターが必要なくなり、私の夢が夢のまま終わってしまうことを心から願っています。