私は思想心情的には犬猫の殺処分には反対ですが、現状では容認していますし、実際に殺処分にも携わってきました。私が犬猫の殺処分やむなしと考える理由はこの2つです。
1 獣医学的理由→苦痛を終わらせるための安楽殺
2 動物福祉上の理由→最低限のケアを提供するための個体数調整
1についてはすでに述べた通りですが、2はどういうことでしょうか。
その前に、保健所や動物愛護管理センターなどのいわゆる動物管理機関への動物(主に犬猫)の出入りについて説明しておきます。下に簡単なフロー図を示します。
犬猫は狂犬病予防法の規定による「抑留」、動愛法の規定による「引取り」(飼主から、または所有者不明)、および負傷犬猫の「収容」によって動物管理機関に入ってきます(図の①)。動物たちはそこで一定期間収容され、何らかの「結果」を迎えます。「生きて外に出る(ライブリリース)」(図の②)か「施設内で死ぬ」(図の③)かです。ライブリリースには飼主への返還、希望者への譲渡、他機関への移送の3つがあります。また施設内で死ぬパターンには、殺処分のほかに収容中の死亡(瀕死の状態で収容された動物がそのまま亡くなることが多い)もあります。
動物管理機関には、適正な収容数があります。この計算には施設の広さだけではなく、収容動物に適切なケアを提供できるだけの人員も含めなければなりません(当然のことですが、意外に忘れられがちです)。当然手がかかる動物ほどケアに人手が必要です。例えば離乳前の犬猫は問答無用で殺処分という自治体もありますが、仕方ない部分もあるのです。「殺処分ゼロ」のプレッシャーから、殺処分をためらい多数の動物を抱え込むと、動物管理機関が多頭飼育崩壊に陥るという、まさに漫画の世界のような事態に陥ります。「殺処分はゼロ」だが「動物福祉もゼロ」という、笑えない事態が生じます。
単に譲渡の機会がなく長期滞在しているのではなく、何らかの理由で譲渡できない動物を動物管理機関で「飼い殺し」にすることは絶対に避けなければなりません。譲渡できない理由を解決しないまま収容を続けることは、その動物にとって不幸であるだけではなく、他の動物のケアのためのリソースを浪費することにもなります。殺処分するか否かを譲渡可能性で判断するというのは、そういうことです。
適正な収容数を保持するためには、個体数の調整が必要です。そしてそのためには①を減らすか、②を増やすか、やむを得ない場合には殺処分を実施するかのいずれかです。次回からはそのあたりをお話ししていきましょう。