「殺処分ゼロ」を数値目標にしてはいけない理由

よく「今年度「殺処分ゼロ」を達成しました!」と高らかに宣言する自治体がありますが、何かが間違っています。ペットの大量生産・大量消費システムの根絶や、避妊去勢手術の徹底、譲渡の拡大や野良猫の完全管理、動物の遺棄事件に対する実効的な処罰など、社会システムの変革の結果として、「殺処分ゼロ」の社会が実現するのです。それを数値目標にして、その時点での数値に一喜一憂することに、あまり意味はありません。

意味がないどころか、「殺処分ゼロ」を数値目標にしてはなりません。数値目標にしてしまうと、役人たちはこう考えるでしょう。「極力引取りを拒否して、愛護団体に押し付ければいい。どんどん譲渡して、譲渡できなければ飼殺せばいい」と。社会が何も変わらないまま「殺処分ゼロ」だけを進めることは極めて危険です。過剰な引取り拒否は、引取り屋(注1)の暗躍を招きます。安直な譲渡は不適切者への譲渡を招き、また里親詐欺(注2)の温床にもなります。飼い殺しなど論外です。また動物愛護団体への押し付けも横行し、動物愛護団体が多頭飼育崩壊に陥ることは目に見えています。

もし仮に、地方自治体レベルで社会システムの変革が実現して、真の「殺処分ゼロ」社会が実現したとしても、それを宣言することは極めて危険です。なぜなら、みんながその自治体にペットを遺棄するからです。殺処分されないのですから、罪悪感なく遺棄することができます。やるなら全国一斉でなければ意味がありません。

犬猫に限定したとしても、動物管理機関に持ち込まれた全ての動物を譲渡することは現実的ではありません(下図参照)。特に日本独自のペットの販売システムを変革しないことには、収容数が減らないばかりか、譲渡数も増えない(ペットショップで買う人が相当数いるから)ので、心苦しいのですが、一定数の殺処分は致し方がない部分はあります。

もちろん、殺処分が安楽殺であることは前提条件です。私も含め、行政担当者が肝に銘じなければなりません。私がこのブログで安楽殺の方法について発信しているのは、「殺処分はかわいそう」といって思考停止するのではなく、殺処分の現場で何が行われているのか、そしてそこで行われているのは本当に安楽殺なのかという問いかけをしてほしいのです。ぜひこの情報を利用していただき、地元自治体で行われている殺処分について検証してみてください。

 

(注1)引取り屋…「動物愛護団体」を騙り、処分に困っている動物を有料で引取る業者。譲渡や終生飼養など望むべくもなく、多くの動物はネグレクト状態で飼い殺しにされる。

(注2)里親詐欺…虐待目的で、主に子猫を譲り受ける異常性癖者。家族連れを装うなど、最近は巧妙な手口も目立つ。また闇業者への転売といった金銭目的の者もいる。