10月24日に北海道大学にて、第2回法獣医学研究会シンポジウム「動物虐待をめぐる現状と課題」が開催され、私はオンラインで参加しました。4名のパネリスト(法獣医学研究者、法学者、行政担当者、臨床獣医学研究者)による基調講演と総合討論でしたが、その中で私が気付いた2点についてシェアしておきます。
動物虐待の通報窓口は警察
各パネリストが強調していたのは「動物虐待の事件性を判断したり、犯人を捜したりすることは獣医師の役割ではなく、疑わしい事案を発見したら速やかに警察に通報する」ということです。その事案が動愛法違反として捜査すべきであるか否かを判断するのはあくまでも警察であり、そこで事件性なし(虐待の事実が確認されなかった)と判断され、かつ動物の不適切な取り扱いがあれば、警察から行政の担当部署に情報提供が行われ、動物愛護管理担当職員が動愛法の規定に基づく改善指導を行うという流れが望ましいとのことです。
「愛護動物虐待等罪」の保護法益は「動物の利益」ではない
愛知学院大学の三上教授の講演が非常にわかりやすく、特に動愛法が規定する「愛護動物虐待等罪」の保護法益の問題については、目からウロコが落ちました。
刑罰を定める罰則には、それにより保護しようとする利益、すなわち保護法益を考えることができます。殺人罪であれば人の生命、窃盗罪であれば人の財産などが保護法益となります。では愛護動物虐待等罪の保護法益は何かということを考えてみると、動愛法第1条で「動物の虐待及び遺棄の防止」等によって「動物を愛護する気風を招来」し「情操の涵養に資する」することが目的として掲げられていること、また動物の利益を保護法益とすることは「法は人間のためだけにある」という従来の伝統的な法慣習にそぐわないことから、保護法益は動物の利益そのものではなく、「動物愛護の良俗」といった人間の利益であると解されることになります。
しかしこのような理解には限界もあります。一般に罰則は個人の生活利益を保護するために存在するのであって、個人に礼儀正しい立ち居振る舞いを教えるために存在するではなく、法により一定の道徳や倫理を強制するいわゆるリーガルモラリズムは否定されるべきものと理解されています。また「動物愛護の良俗」については動愛法で定められている、例えば教育活動や広報活動、動物愛護推進員の活動などにより達成可能であり、刑罰はなるべく抑制的に用いられなければならないという刑法の謙抑性、また刑罰は最終手段として用いられるべきであるという刑法の補充性に反すると解する余地が出てきます。
したがって今後の方向としては、「法は人間のためだけにある」という従来の伝統的な法慣習を変革し、動愛法を動物自身の利益を守るような法律に転換していく必要があるとのことです。