恐怖症の薬物治療

ネグレクトに限らず、普通の飼い犬であっても、社会化の失敗による恐怖症は起こりえます。恐怖症の治療には前述のとおり、系統的脱感作法などの行動療法が用いられますが、その補助として薬物が用いられることもあります。荒田ら(2011)は、犬の恐怖症の薬物療法には「三環系抗うつ薬」「SSRI」、高齢の場合は「MAOI」が用いられると述べています※。

いずれも簡単に言うと、神経終末部(シナプス)のセロトニンを増やす薬です。セロトニンは神経伝達物質の一種で、セロトニンが伝達物質として使われているセロトニン回路は、主に興奮をつかさどっているといわれています。神経間の伝達に用いられた使用済みのセロトニンは神経細胞の中に回収(再取り込み)されてリサイクルされるのですが、これらの薬は再取り込みを抑制することにより、結果的にセロトニンの量を確保するのです。セロトニンが減ると興奮しやすくなったり、抑うつになったりするので、セロトニンを増やす薬は精神領域でよく使われています。

三環系抗うつ薬は古典的な抗うつ薬で、セロトニンの再取り込みを抑制するとともに、他の作用も持っています。そのため、副作用も多い薬です。動物ではイミプラミン、クロファジミン、クロミプラミンなどが用いられます。

 

三環系抗うつ薬にはさまざまな副作用がある.とくに抗ムスカリン作用(例えば口渇、頻脈)や抗ヒスタミン作用(例えば鎮静)が引き起こされる.高用量では生命にかかわる心臓毒性を起こす.

(「最新 獣医治療薬マニュアル」尾崎博監訳、2004、24頁)

 

SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)はセロトニン再取り込み作用のみを持つ薬物で、三環系抗うつ薬のような副作用はほとんどみられず、人間の抗うつ薬として広く用いられています。動物ではフルオキセチン、パロキセチンなどが用いられます。

MAOI(モノアミン酸化酵素阻害薬)は、モノアミン(セロトニン、ドーパミンなどの神経伝達物質)を分解する酵素を阻害することにより、結果的に脳内のモノアミンを増やします。

これらの薬物は2週間~1ヵ月で効果が表れ始め(即効性があると逆に怖い)、投与は長期にわたります。いきなり投薬をやめることは厳禁で、症状を見ながら少しずつ減薬していかなければなりません。譲渡対象の動物に抗うつ薬を投与すると、譲渡先でもしばらく受診と投薬が必要になるため、それが譲渡の妨げになる場合があります。薬物の効果を確認するためには1か月以上の収容が望ましいですが、そんな余裕があるシェルターはあまりないでしょうから、動物愛護団体や預かりボランティアに託す形になることが多いと思います。その際にも、投薬した獣医師による定期的な診察が必要になります。手間はかかりますが、1頭でも多くの動物を譲渡可能にするためには、薬物療法ももっと検討されてもよいかと思います。

 

※「最新 犬の問題行動診療ガイドブック」、2011年、131p