公衆衛生と地域の安全

以前私は、収容動物に対して必要なケアを行い、譲渡できる状態に回復させることができれば、獣医学的理由による安楽殺は仕方がないにしても、殺処分は大幅に減らすことができると述べました。しかし残念ながら、それでも人間の都合による「殺処分」はゼロにはなりませんし、してはなりません。

どこで聞いたか忘れましたが、獣医学は動物のための学問ではなく、人間のための学問です。無条件で最善の医療を施す人間の医療とは異なり、獣医療の場合、どのような動物にどのような医療を施すかは、人間の都合により決定されます。動物の苦痛除去を目的とした安楽殺ですら「人間が苦痛を感じる状況であれば、動物も苦痛を感じるはず」という人間の勝手な推測により実施されています。

それを如実に表しているのが、家畜伝染病予防法の規定による「殺処分」です。畜産に重大な影響を与えるとして指定された家畜伝染病(必ずしも人間に感染するとは限らない)に罹患(または疑い)した家畜については所有者に「殺処分」を命じるか、家畜防疫員が「殺処分」しなければなりません。連日報じられているように、日本国内においても高病原性インフルエンザの発生により、多数の鶏が「殺処分」されています※。

例えばエボラ出血熱のような致死率が高い感染症に感染した人がいたとしても、その人は隔離されるでしょうが、感染拡大防止のために殺処分されることはありません。しかし獣医療の場合、人間の生命や財産を守るための殺処分は珍しいことではありません。家畜防疫員も獣医師ですから、その無念さは痛いほどわかります。

我々のように公衆衛生分野に身を置く獣医師にとっても、それは同じです。狂犬病をはじめとした人と動物の共通感染症の蔓延防止や咬傷事故の防止、また人間に感染しないにしても、動物の感染症のペットへの蔓延防止(ペットも大事な財産です)という視点を持ちながら、収容動物の譲渡適性について考えていかねばならないのです。公衆衛生や地域の安全を守ることは、人間社会にとって優先順位の高い事項です。それを脅かすおそれがある動物を譲渡することはあってはなりません。そして譲渡不適の動物を施設内でいつまでも抱え込むことは、対象となる動物の福祉の点からも好ましいことではありません。私はそういう動物の致死処分はやむを得ないと考えています。それは動物側の視点に立った獣医療としての安楽殺とは異なる、人間の都合による「殺処分」です。

この「殺処分」は理由がなければ実行されませんので、結果的にゼロになることはあり得ますが、ゼロありきでは公衆衛生や地域の安全を守ることはできません。しかしこれは人間の都合によるものですから、動物を苦しめることなく、確実に安楽殺を実行する必要があります。そういう意味でも、安楽殺の技術が重要なのです。

 

※厳密に言うと、高病原性鳥インフルエンザを理由とした鶏の致死処分は「殺処分」ではなく「と殺」なのですが、細かいことを言い始めるときりがないのでやめておきます。