「殺処分ゼロ」についての根本的な勘違い

前回、姑息な手段を用いて「殺処分ゼロ」という体面を整えている自治体の例をお示ししましたが、私はこういった自治体に対して同情を禁じえません。おそらく不勉強な首長が「殺処分ゼロ」という言葉の響きに魅了され、それを現場に押し付けているのでしょう。所詮公務員は組織の駒、首長のおっしゃることは絶対ですから(従順でなければ出世できませんしね)、首長の顔に泥を塗らないように様々な手を使って体面を整えているのです。しかししつこいようですが、そのしわ寄せは動物たちが負うのです。

 

収容数を減らすための努力、すなわち入口対策を行うことなく「殺処分ゼロ」を達成しようとすれば、取りうる対策はこの4つしかありません。

 

・引取りを拒否する

・なりふり構わず譲渡する

・動物愛護団体に丸投げする

・施設で「飼い殺し」にする

 

しかも入口対策を講じなければ、それは永遠に続きます。逆に言えば、入口対策を講じればいつか終わりが来ます。入口対策を加速させれば、終わりは早く来ます。その日こそが「殺処分ゼロ」が達成される日なのです。引取らなければならない犬猫の数がゼロになれば、必然的に殺処分もゼロになります。こんな当たり前のことに気付いているのかいないのか、環境省は「譲渡を増やして殺処分を減らせ」としか言いません。雨漏りしているのに「雨水を受けるバケツを大きなものに替えろ」と言っているようなもので、これでは根本的な解決にはなりません。雨漏りで困っているのであれば、漏れている箇所を修理するのがいちばん早いでしょう。

 

入口対策の効果が出るには、一定の時間がかかります。その間は殺処分を続けるのか?という懸念はもっともです。私個人はそれを望みませんが、やむを得ない部分もあります。そこはあらゆる入口対策を講じた上で、できるだけ殺処分を減らすよう国民に協力を仰ぐのが筋ではないでしょうか。その際には「各自治体の自主性に任せる」などと言わず、環境省が音頭を取るべきです。いかに行政が楽をしながら「殺処分ゼロ」を取り繕うかを競っているお寒い状況は、まさに各自治体に任せた結果だからです。

例えば10年くらいの期間を区切り、その間に集中的に国民的キャンペーンを打てば、国民の意識も変わりますし、真の「殺処分ゼロ」への理解も高まるでしょう。日本の動物愛護行政の貧困さは、殺処分の多さではなく、「殺処分ゼロ」を行政目標にしてしまったところにあると私は思っています。殺処分の裏側にある問題点に目をつぶり、殺処分こそが悪だと決めつけることは世論のミスリードを誘い、かえって問題解決を遅らせます。