前回私は「引取らなければならない犬猫の数がゼロになれば、必然的に殺処分もゼロになる」と書きました。ここは決して「引取り数」ではないことに注意してください。ここに注意しないと、一昔前に流行した「引取りを制限ことで殺処分数を減らす」という姑息な手段のリバイバルを許してしまいます。
かつて動物愛護法においては、都道府県等は犬猫の引取りを求められた場合「引き取らなければならない」と規定されていました。持ち込まれた犬猫はほぼフリーパスで引き取り、結果的にそのほとんどは殺処分されていたのです。
そんな時代に、九州のある自治体で「極力引取らない」取り組みが始まりました。当時この取り組みは画期的とされ、殺処分数も大幅に減ったことから称賛され、追随する自治体が続出しました。ついには動物愛護法にも「引取り拒否」規定が創設されることとなったわけです。
各自治体が「引き取らなければならない」という条文のもとに、何でもかんでも引き取っていたこと自体は問題で、そこをしっかりと分別して「引取れないものは引取らない」ことをはっきりとさせ、法改正にまで至ったという点では、この自治体はいい仕事をしたといえますし、称賛に価すると思います。しかしその副産物のはずの「殺処分数の減少」にスポットが当てられ、そこが称賛されることにより、この自治体は「殺処分ゼロ」のシンボル的存在となりました。この自治体は色々と頑張っていますし、最近は「殺処分ゼロは目的ではなく目標」とトーンダウンしているのであまり悪く言いたくはないのですが、結果的に「姑息な手段を使ってでも、見た目の殺処分数を減らせば称賛される」という悪しきモデルを示してしまったという点においては、非常に罪深いと言わざるを得ません。
当然ですが、引取り拒否は単なる問題の先送りにすぎません。先送りだけならまだしも、確実に問題を悪化させます。引取りを逃れた野良猫※が繁殖を続けるからです。また野良猫を野放しにすることは生活環境の悪化を招くため、野良猫被害者の理解を得ることは困難です。引取り拒否は、必ずTNR(できれば地域猫活動)とセットである必要があります。動愛法の令和元年改正により所有者不明猫の原則引き取り拒否の規定が盛り込まれた際に、「TNR(地域猫活動)の推進」が加えられなかったことに、私は強い懸念を抱いています。環境省は「それは地方自治体の仕事」と言うのでしょうが、地方自治体、特に予算や権限を握っている人たちは、法的根拠や国の方針がなければ動きません。ウチの自治体ではなかなか進まなかった「押印廃止」も、国が明確な方針を示すことにより一気に進みました。行政とはそういうものなのです。
※飼い主不明の犬については狂犬病予防法上の抑留義務があるため、事実上引取りを拒否できません。野犬の子犬については抑留義務はありませんが、引取らざるを得ないのが現状です。