殺処分と動物福祉

ウチの自治体においては、収容された犬猫を保健所から動物愛護団体に譲渡するというルートが解禁されたことにより、行政と団体との間に「殺処分ゼロ」という目的を共有する妙な共生関係が築かれました。その結果、殺処分数は劇的に減少しました。少なくとも週1回は稼働していた動物愛護管理センターのガス室も使われなくなり、メンテナンスの時だけ動かしているような状況になりました。ウチの自治体は「殺処分数ランキング」ワースト上位の常連だったのですが、そこからも名前が消えました。

傍から見ると、行政と民間が協働して殺処分を減らしているという、いい取り組みに見えますが、そこには決定的に欠けている視点があります。それは動物福祉という視点です。

そもそも殺処分という行政処分がなぜ存在するのか、よく考えてみてください。自治体が引き取った犬や猫については、飼い主に返還できるまで、もしくは新しい飼い主が見つかるまで飼い続けることが理想であることは言うまでもありません。しかし動物を飼うということには、相応の施設と人員が必要です。ただ単に檻に閉じ込めておけばよいというものではなく、それこそ動物虐待に当たります。動物を飼い続けるのであれば動物福祉に配慮し、少なくとも「5つの自由」を担保する必要があります。「5つの自由」が満たされない状態で飼われている動物は、「死よりも過酷な生」を生きているのだと、シェルターメディスンの教科書には書かれています。そしてそのような動物に対しては、安楽殺も選択肢の一つとされています。

もし自治体に引取られた動物を飼い続けるとすれば、動物福祉すなわち「5つの自由」を担保しなければなりません。しかし最大限の努力を行ったとしてもそれが叶わない場合<たとえそれが施設や人員の不足といった行政都合であったとしても>結果的に動物を苦しめてしまうことになります。それを防ぐためにやむを得ず行われるのが殺処分なのであって、殺処分は最終手段であるべきなのです。もし殺処分に問題があるとすれば、最初から努力もせずに大量殺処分するような行政のあり方です。つまり、殺処分という行政処分が存在すること自体が問題なのではなく、あまりにも安直な行政判断で殺処分が実行されていることが問題なのです。

殺処分という行政処分が内包している問題をすっ飛ばして、とにかく「殺処分が悪」で、「殺すべきではない」と主張するのが「殺処分ゼロ」という考え方です。「殺処分ゼロ」という考え方は一歩間違えると、たとえ動物福祉に反していたとしても「殺さなければそれでいい」という極論を生みます。その結果、不適切な譲渡や引き出し団体による不適切な飼養管理、動物愛護ボランティアのアニマルホーダー化など、様々な動物福祉上の問題が生じているのです。