殺処分とは、自治体が引取った動物に対する行政処分の一種です。以前も述べたように、自治体が引取った犬猫は飼い主に返還、もしくは新しい飼い主に譲渡できるまで飼い続けることが理想ですが、飼い続けるにあたり最大限の努力をしてもなお、動物福祉すなわち「5つの自由」を担保できない場合、最終手段として殺処分が選択されます。私は個人的信念としては殺処分に反対ですが、殺処分が最終手段として思慮深く実行されるのであれば、それは仕方がないことであるとは思います。しかし問題は、必ずしも殺処分が「最終手段として思慮深く実行され」ていないことにあります。そして、そもそも「最大限の努力」にも限界があることを理解しなければなりません。
自治体による、引取った犬猫を「5つの自由」を担保しながら飼い続けるためには、それなりの予算と人員が必要です。自治体はそのためだけに予算と人員を投入するわけにはいかず、おのずと限界があります。予算と人員の優先順位はその地域が抱えている諸問題との兼ね合いによる行政判断、究極的には首長の政治判断になります。たとえ「殺処分ゼロ」を公約に当選した首長であっても、そのためだけに多くの予算と人員を投入できるわけではありません※。現在の日本社会において、人間の福祉よりも動物の福祉を優先させること(もしくは同等に扱うこと)について、納税者そして有権者の理解を得ることは難しいからです。現場は既存の体制のもとで「最大限の努力」を行うしかないのです。そこに十分な予算と人員が投入されず、結果として安直な殺処分が行われているとすれば、それはその自治体の政治的問題であって、現場の責任ではないということを、私は現場代表として強調しておきます。令和の時代において、いまだに炭酸ガスによる大量殺処分を実施している自治体が存在していますが、それは現場の判断ではなく、それだけのリソースを与えられたうえでの業務命令に基づいて実行されているのです。犬猫を殺したくて殺している職員など一人もいません。既存の体制のもとにおいて、動物福祉の観点に基づき、その時点において最良の判断を下しているのです。もし現場における「最大限の努力」が足りないというのであれば、その苦情は現場ではなく首長や幹部に向けてください。現場の職員を恫喝したり、SNSで顔や名前を晒したりしても、状況は何も変わりません。それどころか、現場への過剰な攻撃は職員の士気をそぎ、安易な行政判断に走らせ、結果的に動物福祉の低下を招くことになります。
※多くの場合、首長は言うだけです。首長に忖度した幹部が、予算や人員を積み増しすることなく、現場に対して「とにかくやれ」と言ってくるわけです。「愛護団体丸投げ」という悪知恵も、苦肉の策なのです。東京都のように、意識の高いボランティアが多数存在する地域ならそれもアリかもしれませんが、地方だとなかなか厳しいものがあります。一部の意識の高いボランティアに負担が集中して、どうしようもなくなるからです。