シェルターメディスンと安楽殺 その2

シェルターメディスンと「殺処分ゼロ」

前回述べたとおり、シェルターメディスンの考え方は動物福祉の観点から動物の安楽殺を容認しています※が、決して奨励しているわけではありません。そもそもシェルターメディスンは、アニマルシェルターにおける動物の人道的管理を目指し始まった獣医療で、その中には犬猫の死因の第1位がシェルターにおける安楽殺であるという状況に対する問題意識もあったと聞いています。

 

シェルターメディスンは、アニマルシェルターに収容されている動物を「5つの自由」に基づき人道的に管理するための獣医療であると前回述べましたが、それを言い換えると、アニマルシェルターにおける動物の収容数をコントロールし、(人間都合の)安楽殺を行うことなく、アニマルシェルターが「健全な」形で運営できる社会を目指す獣医療であるともいえます。そういう意味においては、シェルターメディスンは「殺処分ゼロ」を目指す獣医療と言えるのかもしれませんが、「殺処分ゼロ」はあくまでも結果であって、そこが目標ではありません。ですので、シェルターメディスンを理解している人は決して「殺処分ゼロ」とは言いません。「殺処分ゼロ」ありきの考え方が単なる問題の先送りであり、動物福祉を損なう危険思想につながりかねないことを知っているからです。

 

「殺処分ゼロ」ありきの危険性

「殺処分ゼロ」という考え方は「殺さなければそれでいい」という極論につながります。特に日本人はたとえそれが「5つの自由」もへったくれもない「飼い殺し」であったとしても、「殺さない」ことが美徳であると考えがちです。そういった考え方が、某民間アニマルシェルターの不適切管理や、京都の「神様」といった「事件」の根底にあることは間違いありません。動物を長期間にわたって「5つの自由」に基づき人道的に管理することは並大抵のことではありません。ましてや適正な収容数を超えて動物を抱え込んでしまっては、何をしているのかわからなくなります。米国においても、自称「サンクチュアリ」の多頭飼育崩壊事例が多数報告されていますが、そもそも「ノーキル」で「open-admission(全頭受け入れ)」などというシェルターが成り立つわけがありません。それは単なる「引取り屋」にすぎません。ひとり(または一団体)ですべての動物を救おうとすれば必ずどこかに無理が出ますし、下手をすると結果的に1頭も救えないかもしれません。身の程を知り、ひとまず目の前の動物を救うことに注力することが賢明なのかもしれません。

 

※「飼い殺し」よりも「安らかな死を」というのは、「命あればこそ」と考える日本人にはなじみにくい考え方かもしれませんが、欧米の伝統的価値観において動物は「人間が利用・管理すべきもの」として神から授けられたものとされていて、丁重に管理するという観点から「殺さないこと」よりも「苦しめないこと」が優先されているのです。