「先進的な」単一の治療法にこだわることなく、経済的事情など飼い主の要望に応じた獣医療を提供することにより、飼い主の負担を軽減し、飼い主がペットを飼い続けることをサポートしようとする考え方である「治療スペクトラム(Spectrum of Care:SoC)」について、Brown(2021)らの“Spectrum of care: More than treatment options.”※1を参考に見ています。
獣医師の意識の問題
SoCとは単一の治療法にこだわることなく、治療法全体をひとつの「連続体」ととらえ、獣医師がペットの治療法を複数提示したうえで、飼い主とペットにとって「最適」な治療法を決定していく考え方ですが、実際には多くの獣医師が「集中的」で「最先端」の獣医療の提供を目指しているという現状があります。この論文ではその原因のひとつとして、獣医学生がさまざまな専門医による教育を受けていることをあげています。
獣医学生が臨床実習を行う、大学付属の動物病院の多くが特殊医療や先進医療を提供する、いわゆる三次医療機関です。そこで勤務する獣医師は、当然ながら三次医療に対応できるだけの専門的スキルを有しています。多くの場合、難治性または特殊な症例で、患者はかかりつけ医(一次医療機関)や二次医療機関からの紹介で来院しています。飼い主は通常、高額な費用を伴う最先端の治療を受けられると期待して来院します。多くの付属動物病院は救急外来も開設していますが、入院後は各専門医に引き継がれることがよくあります。そのため、飼い主はペットが詳細な検査や高度治療が受けられることを期待します。要するに獣医学生は、専門医による最先端の獣医療を学ぶため、それが当たり前の獣医療であると認識してしまうのです。その結果、多くの獣医師は学生時代の臨床実習中にSoCの概念に触れることがなく、SoCを提供するのに必要なスキルを学んだり自信をつけたりする機会がなかったのではないかとVandeweerdら(2012)※2は指摘しています。McCobbら(2018)※3によると、米国の獣医学教育においては臨床実習先として地域のかかりつけ医を含むさまざまな動物病院を選択できるようになっていて、その中にはSoCを提供している動物病院も含まれています。しかしそれは始まったばかりで、既卒の獣医師がSoCの概念に関するトレーニングや知識が不足しているという現状は依然として続きます。その結果、獣医師は最も「集中的」で「最先端」の治療以外の治療を提供することに対して不安を抱くおそれがあります。その理由として論文は次の3点をあげています。
・他の獣医師や飼い主の間で、「古い治療を行っている」「アップデートされていない」といった評判が広がるのではないかという不安
・「集中的」で「最先端」の治療を提供しなかったことにより、飼い主が満足する結果が得られなかった場合、飼い主から訴えられるのではないかという不安
・「技術不足」「ヤブ医者」といった烙印を押されることへの不安
※1 Brown, C. R., Garrett, L. D., Gilles, W. K., Houlihan, K. E., McCobb, E., Pailler, S., Putnam, H., Scarlett, J. L., Treglia, L., Watson, B., & Wietsma, H. T. (2021). Spectrum of care: More than treatment options. Journal of the American Veterinary Medical Association, 259(7), 712-717. https://doi.org/10.2460/javma.259.7.712
※2 Vandeweerd JM, Vandeweerd S, Gustin C, et al. Understanding veterinary practitioners' decision-making process: implications for veterinary medical education. J Vet Med Educ 2012;39:142–151.
※3 McCobb E, Rozanski EA, Malcolm EA, et al. A novel model for teaching primary care in a community practice setting: Tufts at Tech Community Veterinary Clinic. J Vet Med Educ 2018;45:99–107.