「先進的な」単一の治療法にこだわることなく、経済的事情など飼い主の要望に応じた獣医療を提供することにより、飼い主の負担を軽減し、飼い主がペットを飼い続けることをサポートしようとする考え方である「治療スペクトラム(Spectrum of Care:SoC)」について、Brown(2021)らの“Spectrum of care: More than treatment options.”※1を参考に見ています。
SoCを躊躇させる要因
SoCとは「集中的」で「先端的」な単一の治療法にこだわることなく、治療法全体をひとつの「連続体」ととらえ、獣医師がペットの治療法を複数提示したうえで、飼い主とペットにとって「最適」な治療法を決定していく考え方です。しかし獣医師がSoCを躊躇する要因がいくつかあると論文はいいます。
SoCを躊躇させる要因①:他の獣医師からの視線
獣医師が「集中的」で「先端的」ではない治療、すなわち「一般的」で「低廉」な治療を選択すると、他の獣医師から「技術不足」や「勉強不足」、もしくは「手抜き」の指摘を受けるかもしれません。そうでなければペットが治療を受けられず、治療が成功したとしてもそういう視線は続くかもしれません。こういった態度は獣医師間に溝を作り、情報共有を妨げます。そのため、志を同じくする獣医師同士のネットワークをつくり、サポートし合うことはSoCの価値を高めることにもつながります。
SoCを躊躇させる要因②:訴訟等への懸念
米国の獣医師の中には、いわゆる「標準治療(standard of care)」を逸脱した治療を行うと、治療失敗の責任を問われたり、免許取り消しになるのではないかと恐れて、常に「集中的」で「先端的」な治療を行うという人がいます。ほとんどの州において、米国の獣医療法では“standard of care”に基づく診療が義務付けられていて(日本の獣医療法にはそういう規定はありません)、違反すると免許取り消しの対象になります。しかし“standard of care”は“care required of and practiced by the average reasonably prudent, competent veterinarian in the community.”(地域における平均的な、合理的に慎重で有能な獣医師に要求され、実践される治療)を指す法律用語で、必ずしも最先端の獣医療という意味ではありません。とはいえ、飼い主がその治療に納得せず、州の獣医師会に苦情を申し立てられると面倒なことになりますから、まずは飼い主と十分にコミュニケーションを取り信頼関係を築くことが求められます。そしてSoC実践の際は治療内容について飼い主に十分に説明し、その旨を記録しておくことにより自己防衛する必要があります。
SoCを躊躇させる要因③:ソーシャルメディアによる「ネットいじめ」
SNSやネット掲示板、ブログなどの、いわゆるソーシャルメディア(social media)も、SoCの障壁とみなされます。「ペットが適切な治療を受けられなかった」と主張する飼い主がたった1人であったとしても、その声が誇張され、拡散されていくからです。AVMA(米国獣医師会)によると、獣医師の5人に1人がいわゆる「ネットいじめ(cyberbullying)」の被害にあったか、同業者の被害を見聞きしたことがあると回答しています※2。なおソーシャルメディアは、SoCについてのさまざまな議論を促進するきっかけになる可能性もあり、一概に悪いものとも言い切れません。
※1 Brown, C. R., Garrett, L. D., Gilles, W. K., Houlihan, K. E., McCobb, E., Pailler, S., Putnam, H., Scarlett, J. L., Treglia, L., Watson, B., & Wietsma, H. T. (2021). Spectrum of care: More than treatment options. Journal of the American Veterinary Medical Association, 259(7), 712-717. https://doi.org/10.2460/javma.259.7.712
※2 AVMA. Cyberbullying and how to handle it. Available at: http://avma.org/resources/practice-management/reputation/cyberbullying-and-how-handle-it. Accessed Oct 2, 2020.